メソポタミア文明
メソポタミア文明は、現在のイラクを中心とする地域に位置します。ここは、ティグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域です。
この地域は「肥沃な三日月地帯」として知られ、農業に非常に適した土地でした。このため、紀元前7000年頃から農耕が始まり、やがて高度な都市文明が形成されました。現在ではジャルモ遺跡などが、残されています。
メソポタミアは「二つの川の間」という意味で、この川による豊かな水資源が文明の発展を支えました。
現在、この地域にはイラク、クウェート、シリア、トルコなどが位置し、多様な民族が暮らしています。
古代メソポタミア文明における王朝の興隆
メソポタミア文明は多くの王朝が興隆し、各々が独自の文化と技術を発展させました。以下に主な王朝の変遷を概説します。
シュメール人の王朝
シュメール人は、紀元前3000年頃に都市国家を形成し、ウル、ウルク、ラガシュなどの都市を築きました。彼らは楔形文字を発明し、法律、宗教、文学などの基礎を築きました。
彼らが残した『ギルガメシュ叙事詩』は、人類最古の物語ともいわれます。『旧約聖書』の原型となる物語が含まれるなど、のちの文明にも影響を及ぼしました。
アッカド王国
紀元前24世紀、サルゴン1世がシュメール諸都市を統一し、最初の帝国であるアッカド王国を築きました。アッカド王国はメソポタミア全域を支配し、サルゴン1世の後も繁栄を続けましたが、内乱や外敵の侵入により崩壊しました。
アッカド王国が、メソポタミアを支配したことで、アッカド語が広く使われました。一方で、アッカド語は文字を持たないので、表記はシュメール人の楔形文字が使用されました。
ウル第3王朝
アッカド王国の崩壊後、シュメール人は再び力を持ち、ウル第3王朝(紀元前22世紀 – 紀元前21世紀)を築きました。彼らは中央集権的な政府を設立し、経済や行政の発展に寄与しましたが、最終的にはエラム人の侵攻などにより滅亡しました。
古バビロニア王国
バビロンを中心に興隆した古バビロニア王国は、紀元前18世紀・ハンムラビ王の時代に最盛期を迎えました。バビロン第1王朝ともいいます。アムル人の建国です。
ハンムラビ法典は、この時期の代表的な法典で、法律を成文化し、社会秩序を維持するための重要な役割を果たしました。「目には目を、歯には歯を」の原則で知られ、公正な裁判と罰則を確立しました(同害復讐法)。この法典は後世に大きな影響を与え、法治国家の基盤となりました。
古バビロニア王国は、ハンムラビ王の死後、カッシートに圧迫され、最後はヒッタイトによって滅ぼされました。
異民族の侵入とその影響
メソポタミアはその豊かな資源と発展した文化のため、さまざまな異民族の侵入を受けました。
ヒッタイトの侵入
紀元前17世紀、インド・ヨーロッパ語族のヒッタイトがメソポタミアに侵入し、バビロニア王国を一時的に支配しました。彼らは鉄器の使用を広め、戦術の発展に寄与しました。
カッシート・ミタンニ
ヒッタイトの後、カッシート人やミタンニ人がメソポタミアに侵入し、それぞれの王国を築きました。カッシートはバビロンを再建し、ミタンニは北メソポタミアを支配しました。
次回の記事では、エジプト文明について解説し、その後、メソポタミアの統一を成し遂げたアッシリア帝国についても触れていきます。歴史の流れをたどりながら、古代の知恵と力の源泉を探索していきましょう。