こんにちは。
この記事では、行政学の様々なトピックについて解説しています。
今回は、集合行為論について。これに関連して、なぜ行政が必要なのかという点まで説明していきたいと思います!
公共財とは
私たちの身の回りには、様々なモノがありますよね。ハンバーグも、赤鉛筆も、いちごパンツもそう。これら、身の回りにあふれているモノのことを、財と呼びます。
私たちは、日々財を消費することで生きているのですが、同じようにコトを消費することもあります。例えば、外食やクリーニング、路線バスなどです。これらは財に対して、サービスと呼びます。
これら、財やサービスの中で、特に公共性が高いものを公共財と呼びます。特に、公共財は、次の「非競合性」、「非排除性」という2つの性質を満たしています。
非競合性
公共財の1つ目の特徴、非競合性について解説します。
非競合性は、誰かが消費しても、誰かが消費できなくなるということはない、ということです。
例えば、公園の滑り台は、Aさんが何百回滑ろうと、Bさんが滑れなくなることはないですよね。Aさんが何回消費しても、Bさんだって何回でも消費できるわけです。Aさんがやすりのようなお尻を持っていて、滑り台が削れないかぎりはね。
一方で、目の前に1粒ガムがあるとすると、Aさんが口にくわえて、嚙み始めると、Bさんにはもう噛むことは叶いません。ええ、2人が愛し合っていたら別かもしれませんけど、、
非排除性
次に、非排除性は、対価を払わない人を消費できなくさせることが難しい、ということです。
例えば、フェスやライブの音漏れを思い浮かべていただくとわかりやすいですが、このアーティストの生歌を聞きたい!という満足感をお金を払わずに得られるんですよね。確かに、本人の姿やそのほかの演出が見られないっていう反論はありますけど、イメージはしやすいと思います。
一方、またガムの例ですが、お店でお金を払わない人は当然ながら1粒ももらえないですよね。対価を支払わない人が、ガムを噛む満足感を得ることを排除できてしまうのです。
公共財の例
では、実際どのような財やサービスが公共財なのでしょうか。
答えは簡単で、実際に現在、国や地方自治体などによって供給されているものは、ほとんどが公共財だといえるでしょう。
例えば、道路、橋、港、公民館、公立の体育館・グラウンド、公園などです。
集合行為論とは
では、本題である、集合行為論について説明しましょう。
これまで見てきたような、公共財の供給について考えてみましょう。
公共財の供給では、非競合性があるので、誰かが使っても、誰かの利用を阻止することにはなりません。また、非排除性があるので、対価を払っていない誰かの利用を阻止することもできません。
例えば、雪の多く降る地域を考えてみてください。
朝起きたら、道路にたくさん雪が積もっていて、車を出せません。でも、仕事や買い物にいけないと困るので、寒くて面倒くさいけど雪かきをしようと思いますよね。
しかし、1人ですべての道路を雪かきできるわけではありません。自分の家の前の数十m程度で精一杯でしょう。
ということは、地域の家の住人みんなが、それぞれ数十mずつくらい雪かきをすれば、どの道路も通れるようになることに気づくはずです。一方で、地域の中で数軒だけ「今日は仕事休みだから」と雪かきしてくれなければ、いくら自分の家の前を雪かきしたとて、水の泡。
そうなると、人はこう考えます。自分が仕事場につくまでの道中、たくさんの家があるが、すべての家が雪かきしているとは思えない。だから、自分が雪かきしても無駄だ。
とうとう、この人は初めは雪かきしないとな、と思っていたのに、雪かきをしないという結論になりました。しかも、みんなが同じ結論にたどり着くはずです。だって寒いから!自分だけ頑張って雪かきしてたら馬鹿みたい!
長くなりましたが、このようにして起きる問題を、集合行為問題といいます。これって、たった3人の協力で自分が職場に行けるなら、前もってお願いすればいいのですが、必要な協力の数が増えるとどうしようもない部分が増えて、結果自分も非協力的になってしまうってことです。
自分だけきれいに靴ならべたら、自分だけゴミ出しの時間を守ったら、自分だけ集合場所に早く着いたら、どれもバカバカしいよ!ってなりますよね。まさに、その問題のことです。
この集合行為問題を、きちんと論じたのがマンサ―・オルソンの『集合行為論』です。
公共財の問題
さらに、公共財を供給する上での問題点として、よく挙げられるものを2つ紹介します。「フリーライダー」と「共有地の悲劇」です。
集合行為問題のより実践的な例になっています!
フリーライダー
先程の「非排除性」があるために、公共財はフリーライダーを排除することができないという問題が発生します。
フリーライダーとは、対価を支払わないのに、財やサービスを消費する人のことです。
例えば、大学の大人数の講義では、教授も受講生の顔を覚えているわけではないので、学外の人が聴いていてもわからないですよね。この場合、学外の人は授業料を払っていないのに、払っている人と同じ知識が得られるわけです。(単位認定がないのは違うけど、そこは無視!)
共有地の悲劇
共有地の悲劇は、生態学者のハーディンによって提唱されたものです。
例えば、12月24日、25日に2日連続で開催されるクリスマスパーティーがあったとします。
あなたは、たくさんのお菓子が用意されているのを見て、とても喜んでいるみたいですね!笑
しかも、たくさんのお菓子は、どれだけ食べても良いそう。あなたはきっとこう考えるでしょう。
今日のうちにたくさん食べておかないと、明日には減っているだろうから。
しかし、どの参加者も同じように考えるはずです。25日に再び来た時には、お菓子が少なくなっているだろうから、いまのうちに食べておかないと!と。
結果として、みんなが24日のうちにお菓子をたくさん食べてしまうので、25日まで残っているものはほとんどありません。(みんなの評判が悪いものだけ残ります!)
この例では、始めにみんなで1日に食べるお菓子の量や、1人が食べてもよい最大量について取り決めを結んでおけば、25日までみんなが楽しめたかもしれません。
一方、誰もが自分の利得を追求したために、25日のお菓子がないという悲劇、もしくは追加でお菓子を購入しなければならないという悲劇が生まれてしまいます。
集合行為問題を解決するために
集合行為問題を解決するためには、どのような方法があるでしょうか。オルソンの議論に従って、3つ紹介します。
集団を小さくする
1つ目は、集団を小さくすることです。
雪かきの例でお話しましたが、職場までの道が3人の雪かきで済むなら、お願いにいけますよね!
このように、公共財を供給する対象人数が少なくなるように、集団を小さく分けることで解決することがあります。
強制する
2つ目は、何かしらの権力によって強制することです。
簡単な話、雪かきしなかったら刑務所行きだと法律に書かれていたら、誰でも雪かきしますよね。
そこまでしなくても、条例や町の約束事をつくったり、あるいは「朝起きたらまず雪かき」という慣習が存在したりするだけでも十分です。もちろん、みんながそれに従っているというだけでも、十分な強制力になるはずです。
報酬を用意する
3つ目は、報酬が用意されていることです。
雪かきをした人には、暖かい汁物を提供するとなっていたら、朝ご飯にちょうどいいと言ってみんなが雪かきしてくれるかもしれません。お金やモノだけでなく、地位や名誉も報酬として機能するでしょう。
政府・行政の必要性
ここまで、集合行為問題の解決策を3つ挙げてみましたが、現実的には2つ目や3つ目が採用されることが多いです。
そこで、みんなが共通して認識している権力として、政府・国家が登場します。
政府が権力を発揮できるからこそ、税金を集め、必要な公共財を供給したり、公共のための決まり事をつくったりしているのです。
しかし、その大部分を担っている行政は、みんなの役に立っている一方で、本当にみんなのためになっているのか、常に検討していなければなりません。
そのために必要な知識や知見を与えてくれるのが行政学です。
これから、もっと行政学について深めていきましょう。
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