世界史

【世界史003】エジプト文明

世界史003 エジプト文明 世界史

エジプト文明

エジプト文明は、ナイル川の恵みによって発展した古代文明です。

エジプトは北アフリカに位置し、現在のエジプト共和国の地に広がっていました。エジプト文明は約紀元前3100年頃から始まり、古王国、中王国、新王国といった時代を経て発展しました。

ナイル川は毎年氾濫し、その氾濫によって肥沃な土壌がもたらされました。この豊かな土壌は農業を発展させ、人々が定住する基盤を築きました。エジプトは「ナイルの賜物」とも呼ばれ、その水源はエジプト文明の経済、交通、文化に大きな影響を与えました。

エジプト文明の特色としては、象形文字(ヒエログリフ)ピラミッドがあります。象形文字は、ナポレオンのエジプト遠征時にロゼッタストーンが発見されたことで解読の挑戦が始まり、その後フランスのシャンポリオンが解読しました。

ちなみに、象形文字は、その形から表意文字だと思えるが、表音文字も含まれている。

古王国

古王国(紀元前2650年頃 – 紀元前2180年頃)は、エジプト文明の初期の繁栄期です。主に、エジプト第3王朝から、第6王朝までが含まれます。首都は、ナイル川下流域のメンフィスに置かれました。

この時代には強力な中央集権国家が成立し、ファラオの権威が確立されました。古王国時代のファラオは神聖な存在とされ、ピラミッドの建設が行われました。

ピラミッドは古王国の象徴であり、特にギザの三大ピラミッドは有名です。最も有名なものは、クフ王によって建設されたもので、高さは約146メートルにも達します。ピラミッドはファラオの墓として建設され、彼らの死後の世界での永遠の生命を保証するためのものでした。

中王国

中王国(紀元前2040年頃 – 紀元前1650年頃)は、古王国の衰退後に再びエジプトが統一され、安定と繁栄がもたらされた時代です。この時代には中央政府の強化とともに、文化や文学が発展しました。首都は、メンフィスよりもナイル川を上流にのぼったテーベに置かれました。

テーベでは、アメン神という守護神が信仰され、神官たちが大きな勢力を有していました。

中王国時代のファラオたちは、国土の再建と灌漑システムの改善に力を入れました。彼らはナイル川の氾濫を管理し、農業生産を増加させるための大規模な土木事業を実施しました。中王国時代にはまた、外部との交易が活発になり、エジプトの経済がさらに発展しました。

中王国の後半では、オリエントで民族の移動が生じ、エジプトでもヒクソスの侵入を受けて衰退しました。

新王国

新王国(紀元前1550年頃 – 紀元前1070年頃)は、エジプト文明の最盛期とされる時代です。侵入していたヒクソスを退け、再びエジプトが統一されました。この時代には、エジプトは広大な帝国を築き、多くの有名なファラオが登場しました。

トトメス3世

トトメス3世は、エジプトの軍事的な成功を象徴するファラオです。彼は多くの遠征を行い、オリエントのミタンニやナイル川上流に位置したクシュ王国などを征服しました。彼の治世中、エジプトは最大の領土を誇り、繁栄を享受しました。

アメンホテプ4世(イクナートン)

アメンホテプ4世は、宗教改革で知られるファラオです。彼は、一神教であるアトン信仰を導入しました。

それまでのエジプトでは、首都テーベの守護神アメンと太陽神ラーが結びついたアメン=ラー信仰が主流でした。そのため、彼の治世中、首都はテーベからテル=エル=アマルナに移されました。

遷都先でのアマルナでは、独自の文化が発展しました。

ツタンカーメン王

ツタンカーメン王は、若くして即位したファラオであり、その墓の発見が有名です。

彼は、アメンホテプ4世の次に即位したファラオで、首都をテーベに戻し、信仰もアメン=ラー信仰となりました。これによって、テーベの神官たちも復職することができました。

彼の治世は短かったものの、彼の墓には多くの貴重な財宝が埋められており、エジプトの芸術と文化を象徴しています。エジプトのピラミッドにある多数の宝物は、盗難などの被害に遭っていますが、彼は治世も短く、小規模なピラミッドだったため、多くの宝物を現代まで伝えることができました。

特に、ツタンカーメン王の黄金のマスクは、彼のミイラにかけられていたもので、とても有名です。

ラメセス2世

ラメセス2世は、エジプト史上最も偉大なファラオの一人です。

彼は多くの戦争を指揮し、特にカデシュの戦いは有名です。この戦いでは、エジプトとヒッタイトが衝突し、最終的に世界最古の平和条約が締結されました。

このとき、エジプトがシリアに有していた領土が、ヒッタイトによって脅かされましたが、彼によって確保することができました。

また、ラメセス2世は、現在も残っているアブシンベル神殿など、多数の建築も手がけました。

その後、新王国は、地中海で活動をしていた海の民の侵入を受け、衰退しました。

末期王朝とアッシリアの支配

新王国の衰退後、エジプトは度重なる異民族の侵入と内部の混乱により、力を失っていきました。紀元前671年には、アッシリア帝国がエジプトを侵略し、一時的に支配しました。この時代のエジプトは多くの戦乱に巻き込まれ、古代の輝きを失いました。

アッシリアの支配が終わると、エジプトは再び独立した王朝を持ち、これを末期王朝といいます。その後はアケメネス朝が台頭してくる中で、ときに征服され、不安定な時代を迎えました。

次回の記事では、アッシリア帝国の興隆とその影響について詳しく解説します。エジプト文明とメソポタミア文明の歴史のつながりを理解するためにも、アッシリアの役割は非常に重要です。これからも歴史の流れを追いながら、古代の世界を探求していきましょう。

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