文系・理系の区別は不要だと考える方がおられます。実を言うと、私自身もそのような考え方に賛同しています。しかし、この文章では、一旦、文理の区別を前提とした上で、読んでいただけるとありがたいです。
文系人材の危機
高校1年生。16歳。
普通科として高校生を過ごした方の多くは、この歳に文理の選択をする。
進学校では理系の方がはるかに多いということがあるが、その後の大学進学まで考えてみると、圧倒的に文系の人が多い。理系人材の不足が叫ばれている昨今だ。
文部科学省の資料によると、6割以上の高校で文理の選択がある。そして、そのうち、理系に進学するのはわずか3割だ。
この希少人材「理系」の皆さんは、ものづくりを担い、デジタル産業を担い、常に未来を作ってくれている。
それに比べて、圧倒的多数の文系はモノを売って、誰の役に立っているのかわからないことも多い。何の役に立つのか、複雑なままで生きている。
さらに、2022年、言葉を話しているかのようなAI(人工知能)が、ついに登場した。文系の最後の砦とも思われたコミュニケーションが、ついに機械に奪われるともいわれる。
理系の皆さんはまだ安泰だろう。AIはプログラムという理系の言葉で動いている。コンピュータという理系の道具で動いている。
では、果たして、文系はもう不要なのか。24時間を好きなように遊んで暮らしていれば、AIが何でもつくり、何でもお世話をしてくれるのか。
哲学も、法学も、経済学も、役に立たない!
少し、悲観的に話を書いてしまったが、世の中には文系不要論があふれている。というよりも、理系の需要が増しているだけかもしれない。
文系の世界でも変革は起きている。例えば、経済の分野における「金融教育」がある。
現岸田文雄内閣では、金融所得倍増計画と称し、新NISA制度など、国民が貯蓄から投資へ移行するムーブメントが起きている。
ちょうど、新NISAは、この記事を執筆している2024年1月に始まったが、旧制度よりも活発に活用されているという。
国民が投資に関心を持ち、経済が活性化することは望ましいと思う。しかし、そのために「すぐに役立つ金融の知識」が出回り、金融教育を学校で実践している事例もある。
いま、教育の世界で、「役立つこと」を教える要求が強くなっているのだ。
就職予備校と揶揄される大学でも、就活の早期化が進み、学問どころではない。
学生たちは、自分の専攻を探究している暇はない。ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)を立派なものにするため、日々課外活動に勤しみ、誰もがリーダーになり、誰もがボランティアに取り組んでいる。
では、もう文系の学問などいらないのか。
哲学は、机上の空論を並べ、言葉の綾を楽しんでいるだけの形而上学に過ぎないのか。
法学は、規範を述べているだけで、実社会を縛る法律の知識など何も与えてくれないのだから、不要なのか。
経済学は、理論を立てるのに都合のよい仮定を置いて、数式をいじくってりうだけだから、無意味なのか。
文系よ、目覚めよ!
私はそうは考えない。
文系の学問には、この令和の時代にも、きちんと役割がある。
2020年、新型コロナウイルスの蔓延。未曽有の危機に多くの人が苦しんだ。
そんな中、政治は1つの大きな問題に頭を悩ませる。「人命」か、それとも「経済」か。
自由な経済活動を許してしまえば、多くの人が犠牲になるかもしれない。しかし、制限してしまえば、多くの人が職を失い、日本全体が落ちぶれるかもしれない。
この間、政治には多くの批判が寄せられた。
では、一体、どう判断すれば正しかったのか。
令和は多様性の時代だ。これまで届かなかった声が、ようやく日本中に聞こえるようになってきた。
しかし、人々の権利は拡大していく一方で、それに伴なう衝突も増えたはずだ。だれかの権利が認められるとき、だれかの権利が制限されることは少なくない。
その問題は見捨てられていないか?本当に多様性が実現しているのか。
本当は誰にも分かっていないはずだ。
2022年11月、ChatGPTが登場した。瞬く間に利用者が増え、シンギュラリティの到来をも想起させた。
では、人間とは一体何か。AIと何が違うのか。知能とは何か。
AIに負けるのが怖いのは、人間について考えたことがないからだ。
文系のルネサンス
ここ数十年で、理系チックな文系の学問領域も増えた。
例えば、行動経済学。人間は合理的に行動するという経済学の原則に待ったをかけ、認知科学の知見を援用しつつ、人間の行動を追究する。
その理論は、驚くほどあたっている。
公共政策の分野では、エビデンスに基づく政策立案(EBPM)が推し進められている。データに基づく政策は、確かに効率がよく、無駄がないだろう。
このように、現実世界への応用性を重視する学問が人気になりつつある。
もちろん、このような学問分野の存在も重要だ。私は、これらの分野に敬意を払うし、彼らから学び続けるつもりである。
ただ、伝統的な文系の学問も忘れないでいたい。先人たちの残した書物を一字一句丁寧に読み解いて、新たなひらめきを得るのも、やはり学問だ。
答えは出ないかもしれないが、自由や平等とは何か、真剣に考えることにも意味はある。
さあ、もう一度、文系の学問が立ち上がるときだ!
機械や電子回路にまみれた令和の時代に、文系の学問を学んでもいいじゃないか!